坂田文庫だより第10回 | 公益財団法人 宮嶋利治学術財団

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坂田文庫だより第10回

私たち宮嶋利治学術財団(以下、宮嶋学術財団)では、熊本県八代市植柳(うやなぎ)下町にある旧家・坂田家に所蔵されてきた膨大な量の歴史・文化資料類(「八代・坂田家資料」)を収集し、整理・調査・研究事業を進めています。

また、事業の内容などを多くの方々に知って頂く必要性も感じ〝坂田文庫だより〟と題して、Facebookに昨年から1月・3月・5月・7月・9月・11月の隔月(奇数月)ペースで記事を掲載し「情報発信」を行ってきました。

第1回目から前回・第8回目までの〝坂田文庫だより〟では、「八代・坂田家資料」の概略や資料そのものの重要さ、さらに地元・八代が近代都市として確立し、成長・発展していく礎(いしずえ)を築き上げた、近代以降の坂田家当主たち(「坂田家・3代」)について、詳しく触れてきました。

前回・第9回目からは、整理が終了した資料類で特筆すべきもの、あるいは未整理の段階であっても、注目すべき資料類などを少しずつですが、みなさんへご紹介しています。
なお、ご紹介する資料類の年代はバラバラになりますが、その点についてはどうぞご了承下さい。(文中敬称略)

今回・第10回目は、グレーとブラックを主体とした独特な抽象画を数多く描き「グレーの画家」とも呼ばれた、熊本県阿蘇郡小国町出身の洋画家・坂本善三(さかも ぜんぞう、1911~1987)のハガキをご紹介します。

光永氏@4x

【写真・1 グレーとブラックを主体とした独特の抽象画を描いた洋画家・坂本善三】

坂本善三(さかもと ぜんぞう、1911~1987)は、グレーとブラックを主体とした抽象画を数多く描き、「グレーの画家」や「東洋の寡黙」と称された洋画家でした。
国際的にも著名で、特にヨーロッパでは日本の古き良き美しさを醸し出すことができる抽象画家として高い評価を受けました。

明治44(1911)年3月、坂本善三は熊本県阿蘇郡小国町に生まれました。旧制・熊本県立大津中学校(現在の熊本県立大津高等学校)卒業後、昭和4(1929)年に画家を志して上京し、帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)西洋画科に学びます。
美術学校在学中から個展を開催し、さまざまな美術展に作品を出品するなど、研鑽を積んでいきました。しかし、昭和10(1935)年からは兵役につき、美術活動ができない状態になりました。

終戦後、東京のアトリエが戦災により焼失してしまったことを機に、活動の拠点を故郷の熊本・阿蘇に移します。自然環境や日常で使う生活用品をモチーフとした写実的な作品を描きました。
その後、坂本は自身の美術の方向性をより見出すため、昭和32(1957)年11月からはヨーロッパに渡り、フランス・パリを活動拠点として、絵画研究のため、スペインやイギリス、ドイツ、イタリアなどのヨーロッパ諸国を訪ねました。

このヨーロッパでの絵画研究は約2年間に及びましたが、ヨーロッパで学んだことが、その後に国際的にも高い評価を受ける「洋画家・坂本善三」としての新たな誕生、そして飛躍に大きな影響を与えることとなりました。

ヨーロッパの石造りの重厚的な建物の構築性に強い衝撃と魅力を感じた坂本は、ヨーロッパの伝統的な美術に触れたことをきっかけに、東洋や日本の風土が持つ本来の美しさについて思いを深めていき、作風が抽象的なものへと大きく変化していきました。帰国後、坂本はグレーとブラックを主体とした独特な画風を生み出し、次々に抽象絵画作品を数多く描きました。

一方で昭和43(1968)年には九州産業大学教授、さらに昭和48(1973)年には熊本県美術家連盟会長に、それぞれ就任します。熊本はもちろん九州全体の美術界の発展・振興に尽力しました。その功績を称え、昭和53(1978)年には熊本県から「熊本県近代文化功労者」として表彰されています。

昭和62(1987)年10月に熊本市内の病院で死去しました。享年76。その後遺族から数多くの作品が、故郷の小国町に寄贈され、平成7(1995)年10月に約500点の作品などを収蔵・展示する「坂本善三美術館」がオープンしました。

ハガキ@4x

【写真・2 「坂田 道夫(男)宛 ハガキ」 昭和33(1958)年 差出人・坂本善三】

坂本善三が自身の美術の方向性を見出すために、フランス・パリへ活動拠点を移し、スペインやイギリス、ドイツ、イタリアなどのヨーロッパ諸国を訪問し、さまざまな知識を学んでいた昭和33(1958)年。坂本善三が坂田道男(さかた みちお、1887~1973)宛に出したハガキです。

当時、坂田道男は熊本県八代市の市長を務めていました。ただ、ハガキの宛名の箇所が「道男」ではなく「道夫」となっています。

新年のあいさつ、またフランス・パリを拠点として、絵画研究でヨーロッパ諸国を精力的にまわっているなど、坂本善三自身が近況報告を伝える内容になっています。

坂田道男と坂本善三の関係をうかがわせる資料類について、現在の時点ではこのハガキともう1つ、昭和39(1964)年1月の坂本善三から坂田道男宛に出された年賀状の2
点だけです。

ただ、坂田道男は八代市長に就任すると「田園文化工業都市」構想を掲げました。この構想は、従来の農業を維持しつつ、昭和30年代前半から急速注目をあび始めた八代港の「国際貿易港」としの拡充を、明治以来から発展してきた大型工場群のさらなる整備と合わせて進め、その一方で市民全体の教養・文化など「民度の向上」も主眼として、その拠点となるべき八代市厚生会館の建設を進めていく内容でした。

ちょうど、高度経済成長が何よりも注目をあび、それらの目的達成が中心となる政治が推し進められていた時代。文化政策をより顕著に出して、市政を進めていた「政治家・坂田道男」と「芸術家・坂本善三」とは、文化的な面での何かしらの交遊があったことは十分考えられるかと思います。

今回・第10回目の〝坂田文庫だより〟をお送りしましたが、次回・第11回目の〝坂田文庫だより〟は9月頃の掲載を予定しています。

坂本善三の作品約500点を収蔵・展示する「坂本善三美術館」は、前述のように平成
7(1995)年10月に、坂本善三の故郷である熊本県阿蘇郡小国町に開館しました。
美術館の建物は明治5(1875)年に、小国町に建てられた古民家を移築したものです。
開館の年には「くまもと景観賞」も受賞しました。

「坂本善三美術館」 〒869-2502 熊本県阿蘇郡小国町黒渕2877

TEL 0967-46-5732 FAX 0967-46-2647
公式サイト http://sakamotozenzo.com/