1月も後半。大変遅くなってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。

今年・平成30(2018)年も、この〝坂田文庫だより〟を通して「近代の八代」はもちろんですが、「近代」という時代に興味や関心を持って頂ければ大変有り難く思います。今年もどうぞ宜しくお願いします。

新年最初の〝坂田文庫だより〟は第7回目になります。今回は「八代・坂田家資料」がどのような経緯を経て、私ども宮嶋利治学術財団で保管されることになったのか。それについて触れてみたいと思います。(文中敬称略)

「八代・坂田家資料」の収集・保管の経緯

資料名からも分かるように「坂田家資料」とは、八代市植柳下町(うやなぎしもまち)の坂田家で長年にわたり保管されてきたものです。しかし、保管していた家屋や蔵などの傷みが年々ひどくなり、さらに平成16(2004)年1月には当時の当主であった坂田道太が死去(享年87)し、その後は坂田家単独で数多くの資料類を維持・管理することが難しくなってきました。

これまでの〝坂田文庫だより〟でも触れたように、「坂田家資料」には国や八代市の政治・経済などの資料以外にも、干拓を造成する時の関連する資料や、文化や民俗に関する資料といった、さまざまな分野にわたるものなど、各分野における貴重な資料類も含まれている可能性がありました。
そのため、早急にきちんとした施設などへ移して、保管した上で整理・調査を進めていくことが必要ということになりました。

〝地元の科学・歴史・文化の教育、そして活動の向上と発展ために大きく寄与する〟というスタンスを基本としている宮嶋利治学術財団では、平成20(2008)年12月に坂田家を訪問し、保管されていた古文書や古記録類、道具類などの収集作業を行いました。

2年後の平成22(2010)年4月からは「八代・坂田家文書 資料・整理・研究」として事業を立ち上げ、さらに翌年の平成23(2011)年10月には収蔵庫を備えた専用の研究棟を建設し、資料類の保管に努めています。

なお、宮嶋学術財団が坂田家より資料類を収集した同じ年の2月、先に東京の国立国会図書館・憲政資料室が「政治家・坂田道太」に関係する資料類の収集作業に入っています。

この作業では、道太が自民党の衆議院議員在職中、特に厚生大臣(現在の厚生労働大臣)や文部大臣(現在の文部科学大臣)、防衛庁長官(現在の防衛大臣)や法務大臣を務めていた頃、衆議院議長時代の頃など、それぞれの時代の文書や手紙など、国の政治に関連する重要な資料類が多く収集されました。収集資料は「坂田道太文書」としてまとめられ、現在も整理・調査が進められています。

また、坂田家には道太の父・道男(1887~1973)が戦前から約44年間(戦時中と戦後しばらくは中断)にわたって購読していたイギリスの代表的な新聞である「ロンドン・タイムズ」が所蔵されていました。こちらは平成11(1999)年12月に、地元・熊本の新聞社である熊本日日新聞社(熊日)の本社内にある新聞博物館へ寄贈されています。

なお、次回・第8回の〝坂田文庫だより〟については、3月頃の掲載を予定しています。

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【写真・1 「坂田家」の資料類を保管し、整理・調査を行っている宮嶋利治学術財団・研究棟】

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【写真・2 「坂田道太文書」の整理・調査が進む、国立国会図書館・憲政資料室(東京)の書庫内】