八代・坂田家資料冊子無料配布いたします。
私たち宮嶋利治学術財団では、八代市出身で文部大臣(現在の文部科学大臣)や防衛庁長官(現在の防衛大臣)、衆議院議長などを務めた、故・坂田道太(さかた みちた、1916~2004)さんのご自宅に長年所蔵されていた膨大な資料類を引き取り、「八代・坂田家資料」として整理・調査・研究事業を進めています。
県下第2の都市である「八代」は、近代・明治時代以降、県内最大の臨海工業港湾都市として発展してきました。その過程で、当時八代の政治・経済・文化などに影響力を持っていた「坂田家」をはじめ、八代地域の歴代指導者層が大きな役割を果たしてきたことは揺るぎがない事実だと思われます。
「八代」の街は、中世・鎌倉時代には妙見信仰の拠点でもある妙見宮(現在の八代神社)の門前町、室町時代から戦国時代にかけては、有力な戦国大名たちの城下町、そして、良港を擁した港町として発展しました。その後、近世・江戸時代には熊本藩筆頭家老の松井氏3万石の城下町となり、町屋の整備や干拓・新地の造成などが急速に進み、肥後では熊本に次ぐ都市として、繁栄を極めました。
近代・明治時代以降になると、引き続き干拓・新地の造成が進められたほか、市街地の拡充化、近代工場群の進出・立地、国際貿易港としての八代港の整備、教育・文化関係の機関・施設の建設などがより活発となっていきました。
「八代」の街は、まず近代以前の門前町・城下町・港町としての基礎があり、それに近代以降の急速かつ大規模な都市整備などが重なり合い、現在に至る八代市の姿が形作られました。「近代」という時代は、「八代」の街を大きく変貌させ、発展させたといえるでしょう。
「八代」の歩みを考える上で、近代・明治時代以降の「八代」について、特にその時代の地域の指導者的立場にあった「坂田家」の果たした役割などを伝えていくことは重要ではないかと思われます。
少しでも多くの方々に「八代・坂田家資料」という1つの〝家資料〟を通して、近代・明治時代以降の「八代」について知って頂き、さらに興味・関心も持って頂ければという思いから、宮嶋利治学術財団設立30周年の昨年。平成28(2016)年7月に、事業の内容や資料の紹介などをまとめた冊子『「八代・坂田家資料」の整理・調査・研究事業について』を作成しました。
また、今年1月からは、こちら宮嶋利治学術財団のFacebookでも〝坂田文庫だより〟と題して、事業の情報発信を行っています。
冊子は宮嶋利治学術財団の玄関ホールに常置し、財団ご利用の方々が気軽に手にとってご覧頂けるようにしています。また、冊子はご自由にお持ち帰り頂けます。冊子の詳しいことについては、宮嶋利治学術財団へお問い合わせ下さい。
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